百人一首

花の色は移りにけりないたずらにわが身世にふるながめせし間に

*花・・・ここでは桜。古典で花といえば桜のこと。*花の色・・・「桜の花の色」と「女性の若さや美しさ」も表されている。*移りにけりな・・・「移る」は「色あせる、変わる」の意。「けり」は過去の助動詞。「な」は詠嘆の終助詞。よって2句切れになる。*いたずらに・・・無駄に、むなしく*世にふる・・・「世」は「世代」と「男女の仲」の掛詞。「ふる」も「経る(ふる)」の「時が経つ」と「降る」の掛詞。「ずっと降り続く雨」と「年を取っていく私」の2つの意味がある。*ながめ・・・「眺め」と「長雨」の掛詞。
百人一首

わが庵は都の辰巳しかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり

百人一首の8番目の歌です。隠遁生活に満足している心境を詠んだ歌。
百人一首

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

百人一首の7番目の歌です。遣唐使にいった作者が、日本を懐かしんで読んだ歌です。
百人一首

かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける

かささぎが天の川に渡している橋のような宮中の御階(みはし)の上に降りている霜が、白く輝いているのを見ると、夜も更けてしまったのだなあと思う。
随筆

モーニングページから随筆へ

 頭の中にあるものを書き出したモーニングページ、それらに筋をつけて随筆となり、他者と対話したりすることによって考えは成熟し完成していく。そしてまた、声に出すことにより、他者の心へと届き、影響を与える。さらに神に捧げる祈りともなる。ふとした独り言のようなモーニングページが、芸術になり、そして宗教になる。少し大げさだが、このように考えた。そして思いついたのは、この事は「お茶を飲む」という俗事を同じように芸術、宗教にまで高めたものである茶道と、アナロジーになる可能性を秘めてはいないだろうか。欧米に茶道を広めた明治時代の思想家、岡倉天心は、その著書「茶の本」の中で茶道をつぎのように言い表している。「茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、(中略)茶道の要義は『不完全なもの』を崇拝するにある。」独り言のようなモーニングページという俗事の「不完全なもの」が、どんどん洗練されて芸術や宗教になっていく。そんなふうになればいいと、望みを高く持った。不安はぬぐえないが、とにかく進んでみる。言葉にまつわるものが筆から流れ出た。
百人一首

奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋はかなしき

人里離れた奥深い山で、散り落ちた紅葉を踏み分けて、鹿が泣いているのを聞く時こそ、秋はとても悲しく感じられます。
百人一首

田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ

田子の浦に出て見渡すと、真っ白に雪化粧した富士の山に、しきりに雪が降っていることよ。
百人一首

あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む

百人一首の3番目の歌です。枕詞や序詞の使用や、「山鳥の尾のしだり尾の」というふうに「尾」が繰り返されて、歌にリズムが感じられるような表現が、とても印象的で美しい歌です。
百人一首

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山

春が過ぎて夏が来てしまったみたいです。夏に白い衣を干すという天の香具山。(天の香具山には白い衣が干してありますよ。)
百人一首

秋の田のかりほの庵の苫を荒み 我衣手は露にぬれつつ

秋の田のかりほの庵(いほ)の苫(とま)を荒み 我衣手は露にぬれつつ百人一首の第1番