わびぬれば 今はたおなじ 難波(なには)なる 身をつくしても 逢わむとぞ思ふ
元良親王(もとよししんのう)
百人一首の20番目の歌です。
語句
*詫びぬれば・・・「詫ぶ」の連用形。「心に思い悩む」の意。
*はた・・・「また」
*同じ・・・ 今の私のありようは、「身を尽くす」のと同じで、身の破滅だという意。
*難波なる・・・「難波にある」
*みをつくしても・・・「澪漂(みおつくし)」と「身を尽くす」の掛詞。澪漂は海に建てられた船用の標識。「身を尽くし」は「身を滅ぼす」の意。
*逢はむとぞ思ふ・・・「む」は意思の助動詞。係助詞「ぞ」の係り結びで、「思ふ」は連体形。
歌意
こんなに心に思い悩んでいるのだから、今はまた身の破滅と同じことだ。難波にある澪標(みおつくし)のように身を尽くしてもあなたに会おうと思う。
作者
元良親王(もとよししんのう)
陽成天皇の第一皇子。大変な色好みで、美しい女性がいると聞けば、すぐに文を送ったという。この歌は、宇多天皇の女御である藤原褒子(ほうし)にあてたもの。「大和物語」「今昔物語」「梅沢本古本説話集」などに逸話があります。
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