モーニングページという種

モーニングページという種

 私の子供が小さかった頃、自分の不満を伝えることができずに泣いたり、物を投げたりして、気持ちを表現できないことに苛立つことがよくありました。周囲の者としては、子供が不満を持っていることは分かりましたが、何に対してどのような不満を持っているかは、年齢を重ねて、思考が複雑になってくると、より推測するのが難しくなりました。「口で言わんとわからんでしょ」と、優しく諭しても、子供は泣き喚くだけだったように記憶しています。

 私自身のことを振り返ってみても、自分の考えを言葉にできない辛さに、歯を食いしばったり、苛立ちが抑えられなかったことが何度もありました。無神経な言葉で人を傷つけたこともあったと思います。今から考えればもっといい言葉があったと思いますが、その当時は精一杯だったのでしょう。特に音楽を作ったり、楽器の演奏に集中している期間は、言葉よりも音へ集中していたためでしょうか、言葉にできないものをどのように外へ発散すればいいのかがわからなくて、ただ闇雲に騒いでいたこともありました。

 私たちは毎日、家族や友人、職場の人間たちと言葉を交わしていますが、気持ちや状況を言葉にすることは、人間が生まれながらに持っている能力ではありません。当たり前のように使っている言葉は、はじめから不自由なく使うことができるものではないのです。私の子供や私のように、言葉にできずにもどかしい思いをした経験は、誰にでもあることだと思います。そういった経験を繰り返しながら、少しずつ表現の幅を広げてゆき、気持ちを伝えることができるようになるのです。言葉にする力は、訓練を積んで伸ばしていく必要があるものなのです。

 私の言葉の訓練は、毎日のモーニングページです。モーニングページとは、作家でありディレクターでもあるジュリア・キャメロン氏が、自著「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」の中で提案している創造性を高めるワークです。朝起きた時に頭の中にあるものを全て書き出します。書くことがない時は「書くことがない」と書くほど、とにかくなんでもいいので書き出すのです。筋道を考えたり、言葉を選んだりもせずに、ただ筆に任せて書くのです。これをノート3ページに書き記すのです。私の場合3ページは多すぎて書けないので、10分間ほど止まらずに書き続けています。このことが書くこと、言葉にすることの訓練になっていると思っています。

 このモーニングページを始めて、もうすぐで3年になります。モーニングページは、筋道を考えずに思い浮かんだことを書き記しますが、はじめてから1年ぐらいたった頃、その中に自分なりの考えがあるように思えてきました。そして、それを形にしようと思い、このような随筆を書き始めたのです。随筆は今回のもので23作目になります。ほとんどが4000字以上のものを書いていて、分量としては少ないことはないでしょう。こんなに文章が書けるとは思っていなかったので、私自身が一番驚いています。これはモーニングページのおかげだと思っています。

 先日「フリーライティング」という方法を知りました。これは、マサチューセッツ大学アーマスト校の名誉教授であるピーター・エルボー氏が提唱した、執筆の練習方法だそうです。フリーライティングという名前ですが、これにはルールがあります。

1、3分から5分間書き続ける。

2、思ったことを思ったままに書く。

3、途中で止まらない。

4、書いたものを見直さない。

5、書いたものは消さない。

6、言葉が思い浮かばない時は「思いつかない」と書く。

 このようにして見ると、モーニングページとほとんど同じです。違う点は、朝書くかどうかという点ぐらいでしょうか。やはり文章を書くため、言葉にするためには、このように止まらずになんでもいいから書き出すという方法が有効なようです。

 モーニングページは、頭の中の思いや現実の状況を言葉にする力をつける訓練として有効なものですが、さらにはさまざまな効用があると感じています。モーニングページを始める前、私は離婚を経験し、それが原因で、毎晩お酒を浴びるほど飲んでいました。自堕落な生活を送っていたのです。そしてなんとか立ち直ろうとしていたときに、モーニングページを始めたのでした。その結果、今ではすっかり毎晩の深酒をやめて、その代わりに読書や仕事のための勉強をするようになりました。これらのことが、モーニングページの効用であることは証明することはできませんが、私にはそうとしか思えません。本当にさまざまなことがよくなり、自分を律することもできるようになったと感じています。一度書いてみるとわかりますが、思いのまま止まらずに書き続けるとストレス発散になります。小さなことでも、ずっと気になっていると、かなり大きなストレスになりますが、それを書き記すと不思議と気にならなくなるのです。よくストレスはお化けと一緒だと言われます。姿が見えないから、頭の中で想像が膨らんで、どんどんと大きくなっていく。しかし一旦見えてしまうと、なんだそんなものかと、気にならなくなってしまうのです。モーニングページで書き出した不安や心配事は、文字として目に見える形になると、綺麗になくなったり解決していきました。

 また考えることを助けてくれます。私の頭の中にあるアイデアは、途切れ途切れで体系的なものはありませんでした。一つのことを考えると、もう一つのことを忘れて、次につながっていかなかったのですが、モーニングページなどで書き記すことによって、良いアイデアを忘れることがなくなり、別のアイデアと繋げて、発展させることができました。

 モーニングページがきっかけで、私は書き記すことに夢中になりました。ノート術の本は30冊以上読みました。その中で影響を受けたのが、Zettelkastenというものです。「Zettel」がメモ、「kasten」が箱を意味しており、ドイツの社会学者であるニクラス・ルーマンが編み出したとされています。例えば、いいアイデアが思いついたとします。そしたら、それをカードにメモをして箱に入れる、それがZettelkastenです。ただそれだけです。しかしこれがとても魅力的なのです。ノートでアイデアをまとめる際の問題点として、ノート上のアイデアや知識がばらばらに散らばってしまい、ノートを見直したときに他の関連する知識やアイデアを即座に参照することができないことが挙げられます。しかし、アイデアをカードに書き記すことによって、アイデア同士を物理的に近づけ、つなげることができます。これはあたかも脳細胞同士をつなげるような作業です。具体的には、カードに番号をつけて、関連するカードの番号などもリンクとして書いておきます。そうすると、細胞のようなアイデア一つ一つが集まって、生物のような体系を持った塊になるのです。

 このZettelkastenを作るようになってから1年4ヶ月がたとうとしています。できたアイデアのカードは350枚ほどです。ルーマンは90,000枚以上のカードを作ったといいますから、まだまだ少ないですが、これからが楽しみです。

 最近このZettelkastenに悩みがありました。カードは少しずつ増えていきましたが、それぞれが関連しあったりせずに、新しいアイデアが浮かんでこなかったのです。本を読んでは、気になったことを抜き出して、タイトルをつけて、カードにしました。何番のカードに何が書いてあるかは、Excelで一覧を作って、そこで管理していました。カードの番号とタイトルを書いて並べたものですので、探したいものは、一覧からすぐに探すことができたのに、繋がらなかったのです。

 初心に戻ろうと思い、関連の本を読んだときに、私のカードには引用が多いことに気がつきました。Zettelkastenのルールとして「自分の言葉で書かなければならない」というものがあります。これはおそらく、自分の言葉にできるほどアイデアを理解していないと、カードを見返したときに、その真意を思い出せないからであろうと思います。私は、本から丸写しでアイデアを抜き出していたために、そのカードを見ても、深い理解や、感動が蘇らなかったのです。ですので、いくらカードがたくさんあっても繋がらず、自分のこととして気持ちを込めたものが湧き起こらなかったのだと思います。

 もう一つ気づいたことは、先ほどのことと関連しますが、カードを見ても何も湧き起こってこないので、カードを見なくなってしまったことです。カードを見なくなってしまったら、アイデア同士が繋がらないのは当たり前です。そんなことにようやく気づきました。新しくカードを作ることに必死で、今まで作ったカードを見たり、深く読んだりすることをしなかったのです。つまり手入れをしていなかったのです。Zettelkastenのカード一枚一枚が植物だとしたら、手入れをしていない、水やりをしていない庭は、花も咲かずに枯れていくのは当然のことです。どれだけ素晴らしいアイデアを次から次へと加えていっても、手入れをしていかなければ、実は結びません。そんな当たり前のことをしていなかった自分に驚きました。ですがこれもまたZettelkastenの一つのカードにして、他のアイデアと繋げていこうと思います。「カードは手入れをするべし。」

 これからは、自分の言葉でカードを作っていきたいと思います。その際今までの引用だけのカードは、紛らわしいので捨ててしまおうと思っていましたが、実はここにもルールがありました。「カードを削除しない」というものです。古いカードは、たとえ内容が間違っていたり、無意味だと感じても削除しないのです。その代わりに、古いカードのどこが悪いのかを説明する新しいカードを作り、それへのリンクを作成します。そうすることで、自分の思考が時間をかけてどのように変化したかがZettelkastenに反映されていくそうです。これも一つのカードの手入れであると思いました。印刷物の本や、教科書のように決まったものがそこに動くことなく存在するのではなく、まるで生き物のように常に形を変えながら動いている、それがZettelkastenなのだなと思いました。

 モーニングページは、毎朝ノートに手書きをしています。以前はPCに打ち込んでいたこともありましたが、手書きの方が気持ちが入るので、そうしています。Zettelkastenも手書きで作っています。手書きが私のブームであったときに始めたものだからです。Zettelkastenは繋がりが大事です。それぞれバラバラになったアイデアが、つながってはじめて随筆のようなまとまった文章になります。このつなげるという作業は、手書きのカードを管理する方法ではなかなか面倒であるのが事実です。リンクを書いて、番号を記していても、そのカードが番号順に並んでいなかったら、大量のカードの中から探さなくてはなりません。そういった経験から、Zettelkastenに相応しいデジタルのソフトがないかを探していました。

 今、最もふさわしいと思っているものは、アウトライナーといわれるものです。これは主に文章の見出しを作るのに便利なツールです。大きく見出しを作って、それぞれの下に小見出しを加え、階層に分けて管理をしていくことができます。小見出しはしまうことができますので、隠しておけば全体を把握することができますし、小見出しを展開させることによって細部を確認することができます。つまり森と木をそれぞれ見ることができるものです。

1、言葉にすることは難しい

2、言葉は訓練が必要だ

 ⑴、モーニングページという訓練

 ⑵、フリーライティングという訓練

3、モーニングページのさまざまな効用

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 このソフトでZettelkastenのたくさんのアイデアを管理してはどうかと思っています。思いついたアイデアはどんどんと打ち込んでいきます。そして溜まってきたら、ジャンルごとに分けて整理をする。あるアイデアに対して、それを否定したり、付け加えたりするときは、階層を下げて配置し、自分の考えがどのように進んでいったかを残す。随筆を書くときは、関連するアイデアを検索して集め、順番を並べ替えながら構成を作っていく。このような作業が簡単にできるので、理想的なソフトだと感じています。しかし、手書きの味わいも捨て難いです。カードごとに字の雰囲気が違ったり、ときどき絵を加えたりすることもできます。後から見返した時の雰囲気がとてもよく、愛着がわいているので紙のZettelkastenも捨てがたいのです。今のところは併用していけばいいのではと思っています。そのうちどちらかが残っていくのではないでしょうか。

 モーニングページに始まった「書くこと」との関係は、随筆を経て、それを書くためのアイデアを貯めておくZettelkastenへと発展していきました。現在でもモーニングページは続けています。そして日々試行錯誤しながら、書き記すことの方法や管理の仕方も変化しています。最も良いものを見つけて、それと一生添い遂げるつもりで探していましたが、もしかすると決まったものを見つけるのではなく、その時々で柔軟に変化させていくことが最も良い方法なのかもしれません。私の場合はこのような道筋を辿って現在に至りますが、「書くこと」との最も良い関係は、人それぞれ違うと思います。

 今後はもっと考えを深めていきたいと思っています。物事の本質に迫って、長期的に現実に働きかける、そんな力を持った思想を育てて、社会に貢献していくつもりです。その上で、「書くこと」は、私にとって欠かすことのできない技術です。また、アイデアを管理し、発展させていくことも重要な作業です。モーニングページという種は発芽しました。この先どんな実を稔らせてくれるのでしょうか、筆のまにまに考えてみましょう。

令和5年2月25日

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