小倉山峰のもみぢ葉心あらばいま一度の行幸待たなむ

百人一首

小倉山(おぐらやま) 峰(みね)のもみぢ葉 心あらば いま一度の 行幸(みゆき)待たなむ
貞信公(ていしんこう)

百人一首の26番目の歌です。

語句

*小倉山・・・京都市の北西、右京区嵯峨にある紅葉の美しい山。大堰川を挟んで嵐山と向かい合う山で、ふもとに定家の別荘である「小倉山荘」がある。
*峰・・・山頂の尖ったところ。
*心あらば・・・「あら」は「あり」の未然形、「ば」は順接仮定条件の接続助詞で「〜ならば」の意。「人間の心があるならば、人の情が分かるならば、」の意。紅葉に呼びかけることで、紅葉を人になぞらえる擬人法。
*今ひとたびの・・・「せめてもう一度だけ」の意。
*行幸(みゆき)・・・天皇が訪れられること、天皇のおでまし。「みゆき」には他に「御幸」の表記もあるが、「行幸」の表記は、上皇、法皇、女院のおでましの意。
*待たなむ・・・「なむ」は他者への願望を表す終助詞。「待っていてくれないか」の意。自分の願望を表す時は「ばや」。

歌意

小倉山の峰の紅葉よ。もしお前に心があるならば、もう一度天皇がおいでになる(行幸される)まで、散らずに待っていてほしいのだ。

作者

貞信公(ていしんこう)
藤原忠平(ただひら)880~949年。
関白太政大臣、藤原基経(もとつね)の四男で、兄・時平、仲平とともに「三平」と呼ばれる平安時代時代前半に活躍した公卿。聡明で人柄が良く、天皇を中心とした政治を目指した、延喜の治と呼ばれる政治改革を行った。61代天皇である朱雀天皇の時に摂政となり、時を経て関白に任ぜられた。
関白になった以後、村上天皇の御世まで長い間政権の中枢にいた。藤原氏が栄える基礎を作ったと言われている。貞信公は、死んでからの送り名。



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