忘れじの行末まではかたければ今日を限りの命ともがな

百人一首

忘れじの 行末(ゆくすえ)までは かたければ 今日を限りの 命ともがな
儀同三司母(ぎどうさんしのはは)

百人一首の54番目の歌です。

語句

*忘れじの・・・「忘れじ」は、「いつまでもあなたを忘れない(あなたへの愛は変わらない)」という男の言葉。
「じ」は打消しの意志の助動詞。
「の」は、連体修飾格の格助詞で、「~という~」の意。
*行く末までは・・・「行く末」は「将来」という意味で、全体で「将来いつまでも変わらないことは」という意。
「まで」は、限度を表す副助詞。
*難(かた)ければ・・・「難しいので」という意味。
形容詞「難し」の已然形「難け」に、接続助詞「ば」がついて確定条件の意。
*今日(けふ)を限りの・・・「今日」は、男が「いつまでも忘れない」と言ってくれたその日を指す。
「今日を最後に(死ぬ命)」の意。
*命ともがな・・・「と」は結果を表す格助詞。
「もがな」は願望を示す終助詞。
「命であればよいなあ」の意。

歌意

「いつまでも忘れまい」というあなたの言葉が、遠い将来まで変わらないというのは難しいでしょう。だから、その言葉を聞いた今日を限りに命が尽きてしまえばいいのに。

作者

儀同三司母(ぎどうさんしのはは)
生年不祥~996
平安時代中期の歌人で、女房三十六歌仙の一人。
従二位式部卿高階成忠(たかしななりただ)の娘で、名前を貴子(たかこ)(きし)と言い、高内侍(こうのないし)とも呼ばれた。
中関白藤原道隆(なかのかんぱくふじわらのみちたか)の妻となり、儀同三司伊周(これちか)や一条天皇の后・定子(ていし)を生んだ。
儀同三司は准大臣のことで、三司(太政大臣・左大臣・右大臣)と儀が同じという意味。
中関白とは、道隆の父・兼家(かねいえ)も弟の道兼(みちかね)も関白になったことによる呼び名。
夫が亡くなった後、息子は左遷されるが、同行することも許されず、出家をし病で40代で亡くなる。

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