明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな

百人一首

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな
藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)

百人一首の52番目の歌です。

語句

*明けぬれば・・・完了の助動詞「ぬ」の已然形「ぬれ」に接続助詞「ば」がついて確定条件。
ば」は、恒時条件を表し、「~と、~といつも」の意味。
男性が女性の家から帰る時が来たことを表す。
*暮るるものとは・・・「と」は、引用の格助詞。
「は」は、強意の係助詞。
夜明けは別れを表し、日暮れは再会を表す。
よって「日は必ず暮れて(またあなたと逢える)」の意。
*知りながら・・・「ながら」は逆接の接続助詞。
「(心では)分かっているものの」の意。
*なほ・・・副詞。
「それでも」の意。
*朝ぼらけ・・・夜がほんのり明けはじめた頃。
一緒に夜を過ごした男女が別れる、男が女のもとから立ち去る頃。

歌意

夜が明けたらいずれ日は暮れる、(そして、あなたに逢える)とは分かっているのですが、それでもなお恨めしい(あなたと分かれる)夜明けだなあ。

作者

藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)
972~994。
法住寺太政大臣・藤原為光(ためみつ)の3男で、藤原兼家(かねいえ)の養子となり従四位上・左近中将にまで昇進。
中古三十六歌仙の一人。
『大鏡』には「いみじき和歌の上手」とあり、和歌の才能を嘱望されていたが、22歳の若さで夭折した。
『栄花物語』には、兼家の養子となり、その没後に道兼に引き取られたと記されている。
父の為光の死後には「限りあれば今日ぬぎすてつ藤衣 はてなきものは涙なりけり」と悲しみの深さを表す名歌を詠み、賞賛されている。

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