ノートのおくりもの

 朝起きて頭に思い付いたことを書き記す「モーニングページ」を始めてから、もうすぐ2年がたつ。モーニングページとは作家であり、ディレクターでもあるJulia Cameron(ジュリア・キャメロン)の著書「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」(原題:The Artist Way)で提案している創造性を見つけるためのワークの一つだ。頭の中が整理できて、素直になり、不安が消えて、行動的になれるというものだ。

 半信半疑で始めたが、その効果もさることながら、文章を作ること自体の楽しさにとり憑かれてしまった。著者が推奨するのは、朝に手書きでノート3ページを埋めるというもの。最初はその通りにやっていたが、文章を作ることが楽しくなってからは、パソコンで打ち込んでいたこともあれば、手書きのこともあった。何の脈絡もなく書いたり、空想を書いたり、その日の予定や目標などの項目を設けて書いたりと、その時々で変化してきている。

 最近のモーニングページは手書きで書いている。手書きの方が、脳が活発に働いてるような気がするのだ。そして項目は設けず思った事を書き記しているが、3日に一度ほど日々の生活の中での良かったことと悪かったことをリストアップして、それぞれについての感情を書き記している。リストアップすることによって、それぞれの特徴がわかったり、悪いことに関しては、客観視して冷静になることができるので気に入っている。また、感情を日常の言葉で書き殴ると、とにかくスッキリするのが、ことのほか楽しいのである。

 このように私は文章を作り書き記すことに快感を覚えたわけだが、最近はモーニングページ用のノートの他に、ノートが2冊増えた。

 1冊目は、普段持ち歩く用の小さいノートである。KOKUYOの「測量野帳」というものを使っている。手のひらサイズの大きさで表紙が固くなっているので、机がないところでメモするのに使い勝手がいいのである。モーニングページはB5版の150枚もあるノートを使っているが、持ち歩きには不向きなので買い足したのだ。仕事中や、移動中、いつでもメモできるようにした。もしメモがなければ、思考が途中で途切れてしまい、深さがなくなる。メモを取ることで客観的になることができたり、継続的に1つのことに集中することができるのだ。

 また、メモを取ることには、鏡を見るような効果があるのではないだろうか。身だしなみを整えるには、鏡を見て自分を客観視することが必要である。そのように自分の気持ちや思考を整えるには、離れたところからこれらをみることが必要である。これは、スポーツや音楽、演劇などでもされていることだと思う。スポーツ選手は、自分のプレーを録画し、改善点を探す。演奏や芝居でも、当事者は自分がしている事をあまりよくわかってないものだ。自分を離れて眺めることは、各分野での上達の方法である。古くは室町時代初期に活躍した能楽師の世阿弥の言葉がある。「離見の見にて見るところはすなわち、見所同心の見なり」。つまり「観客の視点で自分を見て初めて自分の姿を見ることができる。」というものである。このように、メモをとることで、本当の自分を知ることができるのではないだろうか。

 さらに、予行演習のような効果もある。例えば、仕事の手順を書き記してゆくと、必要なものや、手順の入れ替えなどを思いつき、段取りが上手くなるのだ。一度メモの上で仕事をしてみてから、改善をして実行することができる。メモは仕事をはかどらせるので、とにかく楽しいのだ。

 仕事場や街でメモをとるとき、最初の頃は人目を気にしていたが、やり始めると気にならなくなってきた。というよりも気にできていない。どう思われるかよりも、メモの中身に集中してしまう。そして、自分で思っていたよりも、人は私のことを見ていないことに気がついた。まったく気にしなくていいのである。

 もう1冊は、「人物手帳」というノートだ。これは私が勝手につけた名前である。このノートは、家族、友人、仕事関係、とにかく自分と関わりのある人間1人ひとりに、ページを設けて、その人物についてのことを書き記すのだ。はじめは仕事関係の人間の備忘録として作ってみたのだが、書き始めると備忘録として作るということよりも、もっと面白い側面を発見したのである。

 私の好きな言葉に「愛は動詞です。愛という気持ちは、愛するという行動から得られる果実です」というものがある。「7つの習慣」で有名なスティーヴン・R・コヴィーの言葉だ。この言葉に表されているように、行動するとそれに伴って感情が生まれてくる。人物手帳を書いていると、その人に対する感情が深くなっていくのである。

 名前や誕生日、家族構成や性格、会った日の出来事や会話の内容、とにかくその人について思いつくことをなんでもいいから書き出してみる。そうすると、その人と話しているような感覚になり、温かい感情が生まれてくるのがわかる。その人とのことを思って書き記すという行動が、愛という気持ちを生み出している。さらに、メモした内容を読み返すときにも、その人との思い出が心を暖めてくれる。大切な思い出が増えてゆき、その思い出を一緒に語ることで、またより一層心和む楽しい時を過ごすことができるのだ。その人のことがもっと好きになるのだ。

 ノートをつけることが「愛するという行為」であり、この温かい感情が果実としての「愛という気持ち」だろう。最近会っていない友達や、なんとなくマイナスの感情を引き起こす人のページを作って書いてみると、思いのほか感情が解きほぐれて、すっきりするのではないだろうか。

 このノートの対象は、はじめは人物だけであったが、その後広がってきている。趣味である植物や、持ち物、本の内容もノートに書き記している。このノートは「モノ手帳」とでも呼んでおこうか。本の内容を書き記すのは一般的なことではあるが、自分の感想や感情を書き記すことによって、人物手帳と同じように愛情を感じることができる。また、植物のノートを書くときは、絵も描くようにしている。より愛着が湧くのだ。一つひとつの葉をよく見て描いたり、個性的に曲がった幹をそっくりに描くことができたときには、そのページが本当に大切な1ページとなる。

 また、人や物に対してのノートを作ることは、その対象についてのブレインストーミングかもしれない。

 ブレインストーミングとは、1950年代にアメリカのアレックス・F・オズボーンによって考案された会議方式のひとつである。集団発想法とも言われるが、一人ですることもできる。

 その方法は、問題を設定し、その解決法などを思いつくままに出すというものである。これにはルールがあり、①アイデアの量を重視し、②アイデアを批判せず③粗野なアイデアを歓迎することである。こうすることにより、今まで思いつかなかった解決法が生まれたり、問題そのものの捉え方が変わったりする。大切なのは、アイデアを出す段階と、それを判断する段階を分ける事である。判断をしながらアイデアを出すことは、自由な発想や正直な気持ちを押し殺してしまう。「できないだろう」や「馬鹿らしい」などという気持ちは一旦脇に置いて、何にも縛られずにアイデアを出してゆくことが大切なのである。

 しかし、あまり自由すぎるアイデアは役に立たないと思われるかもしれないが、後から判断するので心配することはないのである。そして、一見役に立たないアイデアも、新しいものの種となることがある。そういう意味では、それらも大切なアイデアである。とにかくどんなに奇想天外なものでも、粗野なものでも出して、アイデアの量を増やすことが重要なのである。

 人物や物に対して、このように無批判に、普段の理性のフィルターを通さずに考えや気持ちを記すことで、素直になることができる。相手に見せる訳ではないから、なんでも思った事を書けば良い。そして後から、判断すればいいのである。人や物に対する自由で素直な発想は、心を軽くする。そして、隠れていた問題なども浮き彫りにしてくれ、それらを判断する段階になって初めて、理性的に対処していき、解決を図るのである。

 モーニングページ、人物手帳、モノ手帳、これらをつけることによって、私は自分の身の回りのことが好きになり、生き生きとした生活を送ることができている。この素晴らしい生活は「ノートのおくりもの」である。

 現在、世界を見渡すと争いがある。ロシアとウクライナである。詳しい経緯や善悪をここで論じるつもりはない。ただ、遠く離れた地の争いに思いを馳せながら、何もできないことに少し苛立ちを覚えている。そこでメモを取り、私ができることを考えてみた。

 私の立ち位置を考えてみると、ロシアとウクライナの争いの現場である「Aという地点」、それを伝えるマスメディアの「Bという地点」、そのメディアを見て、ことの真相を知る「Cという地点」、私は3つ目の「Cという地点」にいる。

 マスメディアのスポンサーには、ウクライナの関係者がたくさんいるようなので、中立の意見は期待できない。議論はいいことかもしれないが、メディアを見ていると喧喧諤諤、「Bという地点」も現場さながらの戦場に見えないこともない。これでは戦場が広がるばかりである。

 私がいる「Cという地点」を戦場にしないことが、私のするべきことかもしれない。それには、身の回りの人に声をかけ、心を通わせる、身の回りの物を手入れして、大切にする、そんな行為が肝要となる。ささやかな行為だが、大きな稔りをもたらしてくれるはずだ。人物手帳を作り、人を愛して、モノ手帳を作り、モノを愛する。これらの行為こそ、私にできることであり、最も重要なことではないだろうか。

令和4年3月25日

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