先日、珍しいお祓いがありました。古墳のお祓いです。とある造園屋さんが京都市の仕事に入札をして、受注した案件でした。長く荒れ果てていた古墳を「古墳公園」として整備し、芝生を張って、街灯、フェンスをつけて、人々が訪れることができるようにするというものでした。
造園屋さんがこの仕事を受注した時は、古墳ということは知らされていなかったようです。一般の公園の整備だと思っていらっしゃいました。ですが、よく詳細を聞いてみるとそこが古墳であることがわかり、古墳というと「お墓である」と少し不安になったようです。大昔のものとはいえお墓となると工事をするのに、例えば祟りなどが起きたりしないかと想像を巡らされたのでした。お知り合いに霊能者の方がいらしたので、現場に連れてゆき、そこで霊視をしてもらったそうです。するとそこには男性が1人たっておられて、とても寂しそうに見えたそうです。おそらく古墳に埋葬されている方でしょう。そこで工事が行われる予定であることを伝えると、大変喜んでいらっしゃったということでした。
造園屋さんのご代表の方は、埋葬されている方が工事のことで喜んでいらっしゃるのはいいことだけど、やっぱりそういう幽霊というか、霊はいるんですねと、なおさら不安になってしまったようでした。そこでその霊能者に、工事中に事故が起きたりしないようにするにはどうしたらいいでしょうか、お寺のお坊さんに来てもらってお経でも読んでもらったらいいですか、と尋ねたところ、氏神さんの神社の神主さんにお祓いをしてもらうのが一番いいですよと教えてもらい、私が奉職している神社に来られたのでした。
古墳は、芝古墳と言います。最初、古墳のお祓いと聞いても何をすればいいかわかりませんでしたが、ことの成り行きを伺ううちに、なんとなくやるべきことが見えてきたのでした。
まず、工事をしますので一般の住宅の地鎮祭のように産土大神(うぶすなのおおかみ)、大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)、屋船大神(やふねのおおかみ)という神様たちをお招きすることになります。産土大神というのは、その地域を守ってらっしゃる神様。大地主大神は、まさにその土地に宿っている神様。屋船大神は、これから立つ立派な家に宿られる神様。しかし、今回の場合は建物を建てるわけではありませんので、屋船大神をお招きすることはありませんでした。
その代わりに、古墳ですから、そこに埋葬されている方の御霊をお招きする必要がありました。産土大神、大地主大神、そして埋葬されている方の御霊、この2柱の神と1柱の御霊をお招きすることにしました。
埋葬されている方については、よくわかっていないということでしたが、資料を拝見すると次のような人物像が浮かび上がってまいりました。
場所は現在の京都市西京区、時代は5世紀の後半、継体天皇に協力をした在地の首長、おそらく上里遺跡の首長だと思われるそうです。
この辺りを乙訓地域といいますが、そこには古墳時代中期末から後期前半にかけて小規模前方後円墳が相次いで造営されました。このように急激な首長墓の増加は、在地有力者層の成長に伴う自発的な動向とは考えにくく、中央集権による有力集団の政治的把握が考えられます。つまり、この時期に政権と新たに紐帯を結んだ有力集団の興隆の結果と考えられます。
現状では不明な点が多く課題も残されておりますが、その契機としては「日本書紀」にみられる継体天皇の「弟国宮(おとくにのみや)」が注目されています。「日本書紀」によると継体天皇が葛葉宮(くずはのみや)、現在の大阪府枚方市で即位されてから大和に磐余玉穂宮(いわれたまほのみや)を営むまでに約20年もの期間を有していることがわかります。その間に設けた宮のうちの一つが弟国宮で、その名前からも分かるように、この乙訓地域にありました。
継体天皇が都を転々としたということに否定的な意見もあるそうですが、都が頻繁に遷されたことは、継体天皇の即位をめぐり大和政権内で混乱があった結果と考えられています。この古墳に埋葬されている方は、このような混乱の中で継体天皇に協力した在地首長の1人で、その功績を称えられて芝古墳に埋葬されたのではないかと考えられています。
継体天皇といえば、幾度となく危機を迎えてきた万世一系の皇位継承について考えさせられます。天皇家の血統は、初代の神武天皇から一度も途絶えることなく男系で継承されてきました。そこには「男性のほうが女性よりも偉いから引き継ぐ」というような男尊女卑の思想はありませんでした。その証拠に歴史上には8人の女性天皇がいらっしゃいました。天皇は国でいちばんの権力者です。その権力者に女性が即位していたのですから、女性を軽視したということはないと思われます。あくまでも父方を辿っていくと初代神武天皇までつながってゆくということが重要視されてきました。このように血統が永遠にわたって変わらず続くことを万世一系と言います。
この万世一系の皇位継承の危機を乗り越えた一つの例として、継体天皇の即位が挙げられます。先帝の第二十五代武烈天皇には、後継の候補がいらっしゃいませんでした。そこで私たちの先人は、男系、父系で皇統につながっていることを条件として、広く全国に後継を探しました。その結果、越前、現在の福井県におられた応神天皇の5世孫である男大迹王(おおどのおおきみ)が見つけ出され、第二十六代継体天皇として即位されたのでした。
地方の豪族であった男大迹王が天皇として即位することに、中央の大和にいた皇族や葛城氏などから反対があったのでしょう。継体天皇が大和で政治を行うまでには長い年月がかかったのでした。
私はこの万世一系の皇位継承が、日本という国の根幹であると考えております。世界に類を見ない日本固有の歴史と伝統であり、我々を遠い昔のご先祖様とつなぐものであります。このつながりは日本人としてのアイデンティティ、つまり自己同一性であり、我々の心の根底に、安らぎを与えるものであると考えております。
ちなみに近年、女性天皇や女系天皇についての議論がされておりますが、全く伝統を理解していないと感じております。女性天皇については過去にもいらっしゃいましたが、女性天皇が子を産んだ場合に、その子は皇位継承者とはなりません。男系で初代神武天皇とつながってはいないからです。このことがのちに皇位継承の段階で問題になるのは目に見えていますので、初めから考えない方が良いと思われます。また、女系天皇も同じように男系で初代神武天皇と繋がることができませんし、これを認めた場合、外国人の皇位継承の可能性も出てきます。男系を守ることは、伝統を守ることであり、また現在の日本という国を国外の勢力から守ることにもなると思います。
さらに男系を守ることは遺伝的にもつながりを守ることになるのではないでしょうか。男性はXとYの染色体を一つずつ持っています。一方、女性はXの染色体を2つ持っています。このことから、Y染色体は父親から息子にしか受け渡すことができないことがわかります。そして、父方の男性は何代遡ろうとも、すべて同じY染色体を持っているということになります。もちろん古くからこのことによって男系が皇位継承の条件になっていた訳ではありませんが、偶然ではないと感じるのであります。
その万世一系の皇位継承の危機を救った継体天皇は、現在の我々の心の安定、それどころか存在を支えていると言っても過言ではありません。その継体天皇をかつてこの乙訓の地域で支えた方々のお一人が、今回の古墳に埋葬されている方だと考えられるのです。
資料を読んでどのような方かを想像するだけでは飽き足りず、私は事前に芝古墳に行きました。向日市と京都市をつなぐ細い道路から、竹藪の方へ曲がり、土木業者の荷物置き場を通り過ぎたお墓の隣に芝古墳はありました。広さは野球場の内野ぐらいの広さで、刈られた草や竹が端に寄せられていました。周囲は竹林に覆われていて、敷地の隅には大きな鉄塔が無造作に立っています。霊能者の方が埋葬されている人の霊を見て、「寂しそう」と表現したことになんとなく納得をしながら、敷地の周りを何周か回って歩いてみました。
この地鎮祭は諸々の理由から、現場に祭壇を組んで神様と御霊をお招きする形ではなく、神社で祈祷をした後に現場を簡単にお祓いするということが決まっていました。がしかし、現場に立った私はなんとかここで盛大な祭祀をしたいと思いました。大変日当たりもいいところでしたが、どこか寂しく感じるこの場所で、賑やかにお祀りをしたかったのです。
そこで散供という方法を取りました。散供というのは、お米やお酒をまいてお供えをすることです。神社での祈祷の後に現場に赴き、小さな祭壇で祓詞(はらえことば)という清めていただくことをお願いする言葉と、今から散供するお酒をどうかご受納くださいとお願いする言葉をあわせて申し述べました。そして土地の四隅をお祓いしながらお酒をまいたのでした。これは土地の神にお供えをしたのです。そして土地の中央をお祓いし、そこにもお酒を撒きました。これは芝古墳に埋葬されている方にお供えをしたのです。そして最後に、その日に参列した工事関係者の全員で、同じお酒をいただきました。これは、芝古墳ができるずっと昔からそこにいらっしゃった神々と、そして5世紀後半ごろに芝古墳に埋葬された方と、そして現在を生きる我々をつなげるつもりで行いました。
神事では、このように神にお供えしたものを人も頂くことによって、そのつながりを深くする直会(なおらい)というものがあります。もっとも有名な例は、天皇が即位して初めての新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭(だいじょうさい)と言いますが、このお祭りで天皇は天照大神を初めて迎え、お供物を献じて、また自らも食するというものです。
この地鎮祭をするにあたって私が大切に思っていたのは、まずはこの工事を神々と御霊に報告しその安全を祈願すること、そして我々を根底から支えるこれらの存在とのつながりを作り、それを参列者に感じてもらうことでありました。神々や御霊に喜んでいただけたかどうかは確かめようがございませんが、工事関係者の方々は、地鎮祭を行なう前まではよそよそしい雰囲気でしたが、地鎮祭の後は楽しそうに談笑されておりました。
このような神事にご奉仕することができて、個人的に大変喜んでおります。そして芝古墳が美しく整備され、そこに人々が集い、この風土と古くからの記憶が我々を優しく包むのを心待ちにしております。
令和4年11月7日
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