植物を集め始めたのは、令和3年の4月でした。それからたくさんの植物を買い、今では200を超える植物が、ベランダや部屋の中に溢れています。その時々で好きになるものは変わっていますが、最近の傾向から、私の理想の植物像、なぜか追い求めてしまう植物の種類というものが見えてきました。
それは私が「十二単」と呼んでいる形です。正式な名称を知らないので、勝手に名前をつけて呼んでいます。葉が茎の左右に順番に広がったもので、こう書き出してみると当たり前の形ですが、「十二単」は、一般的なものよりも葉と葉の間がつまっています。この形が好きになったきっかけは、風蘭です。風蘭は、太い気根を持ち、樹木や岩に着生する多年草の蘭の一種です。葉は細くて硬く、綺麗に密になって2列に並んでいます。もともとは、この風蘭の気根が好きでありました。
エアプランツのウスネオイデスの形から、セイデンファデニアやキロスキスタなどの無葉蘭に興味を持ちました。そしてその無葉蘭の根っこの「くねくね」に魅せられて、さまざまな蘭の世界を見てきました。その中に、風蘭がいたのでした。風蘭は、花も美しく香りも豊かでありますが、その2列になって密に並ぶ葉の美しさは、私の心を根っこ以上に捉えました。そしてこの葉の並んだ形を、着物のえりの重ねの部分に似ていることから「十二単」と呼んでいます。この幾重にも重なった着物のように美しい葉の形が、私の好きな植物の形であります。
この形を持った植物は多く、風蘭以降、私は数々の植物の中にこの「十二単」を見つけては、夢中になったのでありました。
風蘭の次に夢中になったのは、バンダでした。こちらは風蘭を大きくしたような形をしています。扇状に広がる左右の葉っぱと長くて太い気根。これはそれまで好きだった「くねくね」の根っこと「十二単」の形が混ざった、まさに理想的な植物でした。以前は「くねくね」の根っこ、そして「十二単」の葉っぱも気持ち悪いと思っていました。根っこは虫のようで動きそうだし、葉っぱも大きな魚の骨のようで生臭そうなので敬遠していました。それが、無葉蘭をきっかけとして「くねくね」根っこが好きになり、風蘭をきっかけとして「十二単」が好きになってしまったのですから、大変です。青い花の付く一般的なバンダと、形のよく似たソベニコフィアという白い花をつけるものをたて続けに買いました。青い花のバンダは、令和4年の11月から2ヶ月近く花を咲かせてくれました。寒くなり出した頃に南の国のような花を見せてくれ、寒がりの私を元気づけてくれました。
次に気になったのは、万年青(おもと)です。こちらは蘭だと思っていたのですが、キジカクシ科オモト属の植物だそうで、細かいことはよくわかりません。こちらは日本の伝統園芸というものだそうで、なかなか奥が深そうです。どのように奥が深いのかは、特に興味がなかったのでよく調べていませんが、葉っぱに斑が入ったり、いい形に曲がったりすると「芸がある」などと言って、好まれているようです。先ほどの風蘭も、伝統園芸の世界では「富貴蘭(ふうきらん)」と呼ばれ、葉っぱの芸を楽しむようです。昔は車が買えるような値段で取引されていたようです。一般的な万年青の評価はよくわかりませんが、あまり人気があるようには思えません。ですが、私はこの万年青にも「十二単」を感じて、夢中になりました。万年青の場合、その形もさることながら色にも魅せられました。濃い緑と黄味がかった乳白色の斑の対比が美しくて、見惚れていました。この頃は、他の伝統園芸にも興味を持っており、本を買って、寒蘭の縞模様や極彩色の蘭鉢などに心を躍らせていました。
「盆と栽で盆栽や」と言ったのは、行きつけの盆栽屋さんの大阪弁のおっちゃんです。つまりは、植木鉢と植物が組み合わさって、盆栽の美しさが出てくるということだと理解していますが、伝統園芸には、そのような組み合わせの美しさを感じました。万年青にも、「透かし」が施されたような繊細な蘭鉢に植えられたものや、黒字に金色の彩色がされているようなきらびやかなものまで、さまざまな組み合わせの美しさがありました。
次に好きになったのは、ガステリアという多肉植物です。花が胃の形に似ていて、ギリシャ語で胃のことをgaster(ガステル)というところから、ガステリアという名前がついたそうです。こちらは太った「十二単」という感じで、葉の一枚一枚が分厚くしっかりとしています。ですが重ねの部分は美しく、綺麗に左右交互に並んでいます。
地元の小さな植物イベントで仕方なく買ったのが始まりでした。多肉植物を扱っている店の店員さんが、どんな植物が好きなのかと尋ねてこられたので、正直に蘭が好きですと答えると、面白い日本の蘭を売っているおじさんを教えてくれました。その他丁寧にいろんな話をしてくれたので、このまま何も買わないのは悪いなと思い、仕方なく買った植物でした。とはいえ、自分で選んだものですし、そこには私の好みが反映されていたのでしょう、後から見ると、綺麗な「十二単」がそこには存在していました。
興味がないと思っていたものが、実は自分が求めていたものだと後からわかるほど、興奮することはありません。まるで前世からの運命のような気分になりました。その後、行きつけの多肉植物屋さんの山城愛仙園に行った時には、今まで気がつかなかったガステリアの存在と魅力に驚きました。こんなにたくさんのガステリアが栽培されていた事と、それに気がついていなかったことが興味深く感じました。以前妖怪ウォッチが好きなうちの子供が、街中で、小さな妖怪ウォッチのお菓子を見つけるのは、頭の中に好きな妖怪ウォッチが常にあるからだということを書きましたが、今回はその逆で、ガステリアという植物を全く知らず、見ていたとしても何も思わなかったら、存在していないのと同じことなのだと思いました。こんなにたくさんあったのに私の中にガステリアの受け皿がなかったので、全く見えていなかったのでした。よく見るとホームセンターなどにも売っています。日本に渡来したのは明治末期から大正時代初期の頃です。その当時から万年青や富貴蘭の愛好家に人気があったらしく、万年青鉢や蘭鉢に植えられて楽しまれていたようです。図らずも先人たちと同じように、ガステリアに「十二単」を感じていたのも、興味深いことであります。
最後はアロエです。これが最も新しいお気に入りです。種類によっては「十二単」の形ではないものもありますが、スプラフォリアータという種類はまさに「十二単」そのものであると言っていいでしょう。下の葉は大きく、上に行くにつれて小さいものが重なり、ピラミッドを上から見たように、均等に重なる葉っぱは、自然が作り出す幾何学模様であります。株が幼い頃は、葉っぱが左右に広がるので、一直線になった葉っぱが美しいです。株が成長してくると、葉は少しずつ旋回し、ロゼッタ状に360度展開していきます。その他、ディコトマという種類は、幹立ちするもので、「十二単」の形をした葉が幹の先についており、幹は意外なぐらいにツルツルしています。グラキリスの幹のような銀色をしていますが、その手触りは木工細工のように滑らかで、触っていて飽きません。アロエが一番新しい興味の対象ではありますが、その始まりは「十二単」の系統の中でいうと一番古いものであります。
実は風蘭を好きになる前に、私はアガベが好きでした。こちらも山城愛仙園に行った時に、なんとなく買ったものでした。アガベは高い植物ですので、なかなか手が出ませんが、その時は気になって仕方がなかったので買いました。そして後から考えたとき、それが一枚の絵のことが頭の中にあったから、アガベを選んだのだということがわかってきたのです。
その絵は、私の彼女の中学2年生の娘さんが描いたアロエの絵でした。アロエの種類は、アクレアータというもので、鋸歯という棘があり、荒々しい印象のものです。そして時期が去年の今頃ですので、1月の頃、アロエが紅葉している頃の絵だったのです。美しいというよりも、寒さの中で懸命に、古い葉が傷ついていながらも力強く生きている、そんな姿のアロエでした。その頃にはアロエに興味がありませんでしたが、その絵に強く印象付けられて、その「十二単」というには荒々しすぎますが、扇状に広がる形と、緑が寒さに焼けて赤黒くなった色が、私の心の奥に住み着いていたのだと思います。形は、アガベ、風蘭、バンダ、万年青、ガステリアと巡ってアロエに帰ってきました。また色は、春夏秋冬を経て、同じ1月の頃、アロエが赤黒く紅葉したこの季節に、また私の心をとらえています。
なぜこの絵が私の植物の好みに影響を与えたのかはわかりません。がしかし、この絵をきっかけに、自分も植物の絵を描きたいと、ノートに絵を描きだしたりもしました。その作者が彼女の娘さんだからでしょうか。まだ幼い純粋な心が描いた絵だからでしょうか。はたまた、植物の懸命に生きる姿を描いたものだからでしょうか。答えはわかりません。
妖怪ウォッチのことが常に頭の中にあったから、どんなに小さなきっかけも見逃さなかったのは、私の子供でした。ガステリアという植物を知らず、興味も全くなかったから、その存在や魅力に気づかなかったのは、以前の私でした。頭の中にそのイメージがあるかないかで行動は変わりました。
ある一枚の絵が、結局この1年間の植物の嗜好を決めていました。この一枚の絵のイメージが私の行動を突き動かしたのでした。では、この最初の点になる一枚の絵は、どうやって私の心をとらえたのでしょうか。私の心にそれまでになかった受け皿をどのようにして作ったのでしょうか。もしくは古い記憶を呼び覚ます何かがあったのでしょうか。これからの私の植物の趣味が、それを明らかにしてくれるかもしれません。
令和5年1月28日
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