難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや

百人一首

難波潟(なにわがた) 短(みじか)き蘆(あし)のふしの間も 逢(あ)はでこの世を 過(す)ぐしてよとや
伊勢(いせ)

百人一首の19番目の歌です。

語句

*難波潟・・・大阪湾の入り江の部分。昔は干潟が広がり、芦がたくさん生えていて、名所のひとつであった。「潟」は潮が引いた時に干潟になる遠浅の海。海ともつかず陸ともつかずというような低湿地であって、葦が生い茂り、荒涼とした印象であったようである。
*蘆(あし)・・・イネ科の多年草。水辺に生える。高さ2~4mになる。「芦」とも書き「よし」とも読む。茎は屋根をふき、また垣・簾(すだれ)を作るのに使う。奈良時代には難波のアシが有名だった。「難波潟 短き蘆の」までが、この歌の序詞である。
*ふしの間・・・節と節の間。「節」を「よ」とも読む。
*逢はでこの世を・・・「世」は人生や男女の仲などの意。ここでは男女から人生の意味まで複数の意味をかけている。また「世」は「節(よ)」と音が重なり、「節(ふし)」とともに芦の縁語である。「逢はで」は「逢わずて」の略。
*過ぐしてよとや・・・「過ぐす」サ行四段の連用形。「てよ」は強意の助動詞「つ」の命令形。「と」は格助詞。「や」疑問の係助詞。

歌意

難波潟の蘆のふしの間のように、短い一時でさえ会わずに、この世を過ごせとあなたはおっしゃるのですか。

作者

伊勢(いせ)
875-940年?。古今集時代を代表する女流歌人。紀貫之と並び称されることもあった。伊勢守藤原継景の女。
宇多天皇の中宮温子(おんし)に仕え、その兄仲平と恋仲になるが破局。
その後、宇多天皇から寵愛を受け皇子を生み、伊勢御息所(みやすどころ)となる。しかし皇子は早世する。
その後、宇多天皇の皇子敦慶親王と結婚し中務(なかつかさ)を生みます。
中務も後に女流歌人として知られるようになります。家集に『伊勢集』。

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