感情に関する記述で面白いものを見つけた。佐渡島庸平著「観察力の鍛え方」には、「感情とは、勝手に自分のところにやってくるものではない」とし、「自分でその感情を選んでいることに意識する必要がある。」と述べられている。我々の認識では、感情とは、普段の生活の中で自然と湧き起こってくるもので、自ら選んでいるものではない。たとえば、雨が降れば憂鬱な気分になり、晴れていると開放的な気分になる。これらは外界からの影響であって、自らが選んだものではない。そもそも気持ちというものは、自然とそのように感じるものであって、これを自ら選んでいると認識することは、はなはだ不自然であるように感じる。
氏は、またこうも言っている。「感情とは、自分が何に注意を向けているのか、を自覚するツールである」とし、それぞれの感情の注意の対象の例を挙げている。
不安 わからないものに対して注意が向く
恐怖 手に負えないものに注意が向く
悲しみ 無いことに注意が向く
怒り 大切なものがおびやかされることに注意が向く
喜び 獲得したことに注意が向く
安らぎ 満たされていることに注意が向く
このように注意を向ける対象によって、どのような感情を抱くかが決まってくるそうである。なるほど、どのようなものを意識しているかによって、感情が決まるということだ。先ほどの例で考えると、雨が降っている時、靴や服が濡れたり、自由に出歩くことができないことに注意が向くことによって、憂鬱を感じる。晴れている時には、洗濯物がよく乾いたり、屋外で思いっきり遊ぶことができることに注意が向くことによって、元気になる。がしかし、私が農家であったならば、雨が降った時、それは恵みの雨となり、「喜び」を感じるだろう。小さい子供を持っている母親ならば、晴れの日は熱中症に気を配り、「恐怖」を感じるかもしれない。同じ現象が起きても、立場が変わると注意の対象が違うため、そこから湧き起こってくる感情は違ったものになってくる。このように認識した時、注意の対象を自ら選ぶことによって、好きな感情を選択することができそうだ。雨が降った時は、作物がよく育ち、それらの恵みをいただけることに注意を向けると、「感謝」を感じるかもしれない。感情を自ら選んでいると意識するということは、こういうことであろうか。
なぜ感情についての記述に興味を抱いたかというと、最近その「感情」というものに振り回されているからだ。
一つ目は、バンドである。学生の頃からサックスを吹き、バンド活動をしている。現在でも、たまにではあるがライブ活動をしているのだ。そのバンドにライブのオファーがやってきた。来年の令和5年の3月に、50周年を迎えるライブハウスの「記念イベント」での演奏だ。そのライブハウスは若い頃から何度も演奏をしていて、大好きなライブハウスの一つである。その「記念イベント」に誘われたのだから、嬉しくないわけがなかったが、私の「感情」はいいものだけではなかった。というのもバンドメンバーに対する不満があったからである。
その不満というのは、オンラインレコーディングをみんなでやろうとした時のことだ。オンラインレコーディングとは、実際には顔を合わさないけれども、それぞれが録音したデータを合わせて、曲を作るというものだ。デジタル機器には弱いバンドではあるが、コロナ禍がそうさせたのである。演奏したくてもみんなで会うことができなかったので、泣く泣くこの方法が選ばれたのだ。私は他のメンバーに比べるとデジタルには強い方なので、率先してこのオンラインレコーディングに取り組んだ。メンバーの中には、操作の仕方がわからない人や、そもそも家で楽器を演奏できない人などもいて、環境は十分ではなかったが、とにかく動かなければ状況は変わらないと思い、この暇で仕方がないコロナ禍を楽しくしようと、私はかなり張り切っていた。
初めの頃はメンバーもやる気があり、ネット上に音源が頻繁にアップされ、曲が出来上がり、メッセージなのどのやりとりも盛んであった。が、しばらくすると音源はアップされなくなり、メッセージもちらほらと数が減り、反応も悪くなってきた。飽きてきたのかもしれないし、環境が整っていないメンバーに気を遣ったのかもしれない。メンバーのそんな悪い反応には以前から慣れっこになっている私は、かまわず音源をアップし、メッセージに熱い思いをぶちまけていた。
メンバーとは、もう20年以上の付き合いになる。こんな時、結成当時だったら、熱い思いをメールではなく直接伝え、喧嘩をして、感情むき出しの演奏で相手に伝えていた。若さゆえのことだろう。また、10年前なら「こんな状況ではダメだ」と声を掛け合って、みんなが楽しめるにはどのようにすればいいかという、話し合いがあったと思う。少し大人になったのである。がしかし、20年も経てば、喧嘩はもとより、そういった言葉すら出てこない。私は黙殺されたのであった。これはどういった成長であろうか。私の音源、メッセージはインターネットの広大な宇宙の星屑となって散っていったのである。悲しすぎる、悲しすぎると同時に怒りも込み上げてきた。こちらは一生懸命、みんなに操作の方法や楽譜なども提供したのに、礼も言わないどころか、演奏やメッセージに対する反応もない。どうしてくれようと、はらわたの煮えくりかえるような思いをしたのであった。
そんな感情を持っていたところに、大好きなライブハウスの「記念イベント」のオファーがやってきた。私はもちろんメンバーも大喜びであった。がしかし、私の「感情」は喜びだけではなかった。無視されたことへの怒りが、静かではあるが、まだアツアツの状態だったのである。そんな私には、ビデオ通話の画面越しに大喜びをするメンバーを見ても、怒りが湧いてきたのであった。オンラインレコーディングの時はあんなにつまらなそうな顔をしていたのに、ちょっと誘われたぐらいでいい気になりよってと、さらに腹が立ってきたのであった。実際には、オンラインレコーディングの時のつまらなそうな顔は見ていないが、私の想像の中では、メンバーの表情は木彫りの人形のように無表情であったのだ。ライブのオファーを受けた嬉しさと、メンバーに対する収まらない怒り。私はこの二つの感情に振り回されていたのであった。
佐渡島庸平氏の本の内容に照らし合わせると、好きなライブハウスでの貴重な記念ライブをする機会を「獲得したこと」に対して注意が向いている「喜び」の感情と、私が一生懸命バンドに対して行った行動、つまり私にとっての「大切なことが脅かされていること」に対して注意が向いている「怒り」の感情を、私は同時に感じていたのである。この両極端な感情に文字通り振り回されて、私はたいへん不安定であった。
以前から私にはノートにさまざまなことを書く習慣があった。朝起きてすぐに頭の中にあるものを全て書く「モーニングページ」というものをして、はや2年2ヶ月。ノートに気持ちや、考えを書き出すことは自然とするようになっている。今回のバンドに対するこれらの「感情」も書き出した。「感情」は書き出すと、自分のものであっても客観的に見ることができる。鏡で自分を見るような感覚だ。そうしたら、今まで見えてこなかったことが見えてきたのだ。私は、「ライブができること」と、「無視されたこと」しか見ていなかったが、ノートに書き出すことによって視野が広くなった。
まず、ライブを誘ってくれた「人」がいることに注意が向いた。「演奏ができること」や、「俺たちやっぱりすごいぞ」という自負、そんなことしか考えていなかったが、長い間連絡もしていないにも関わらず、我々のバンドを覚えていてくれて、また演奏を聴きたいといってくれている人がいることに、感謝の感情が溢れてきた。覚えていてくれているというのは大変嬉しいことだ。その気持ちに報いたいという思いが生まれてきた。次に、一生懸命にがんばる私を無視する憎たらしいメンバーではあるが、「記念イベント」にオファーを受ける素敵なバンドのメンバーは、他でもない彼らであることに注意が向いた。私にとっては憎たらしくても、聞いている人にとっては愛すべきバンドマンであり、魅力的なバンドなのである。そして私もその一員である。たいへん光栄なことである。このメンバーと協力していい演奏を作りたいと思った。
そんなふうに、私は注意の方向を変えてみた。そしたら、「感情」は変わってしまったのである。私を無視したことも、ひとつの面白いエピソードとして、バンドの魅力になるような気がした。少し人が良過ぎるだろうか。そして、グループラインではなく、メンバー1人ひとりに話しかけることによって、それぞれの良さが感じられたのであった。これはスティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」に紹介されている「愛は動詞である」ということだろうか。愛というのは感情ではなく、動詞であって、愛するという行動をするから、愛という気持ちが得られるというものだ。メンバーに愛という言葉を使うのは、なんだか照れ臭いし、関係を正確には表していないと思うが、関わり合って、積極的に行動することによって良い感情も生まれてくるということだと思う。あまり意識はしていなかったが、これは感情を自ら選択したということかもしれない。注意の方向を変えることによって、私は私が好きな感情を選択したのである。
令和4年7月8日午前11時31分ごろ、奈良県奈良市の近鉄西大寺駅前で、参議院議員選挙のための街頭演説中に、元首相である安倍晋三氏が背後から撃たれて殺害された。私がこの事件を知ったのは、仕事の昼休み中であった。心肺停止の状態との報道に、ただ祈るばかりであった。
安倍晋三氏といえば、さまざまの功績がある。歴代最長の首相通算在職日数や、アベノミクス、自由で開かれたインド太平洋戦略など、その功績は国内だけにとどまらず、広く世界に影響を及ぼしている。たとえば、先進国首脳会議では、議論が対立した時「シンゾー」に調整してもらうというのが一番の解決策であったようだ。首相退任後も各国の要人からの相談が後を絶たなかったようである。その一方で、アンチもたくさんいたことは事実である。森友、加計学園、桜を見る会など不起訴に終わった疑惑であっても、いまだに真相追求を求める声がある。
逝去の報道を知った時には、味わったことない喪失感を感じた。知り合いではないが、親しみを感じていた人であり、日本の伝統を守るという政治的信念にも共感をしていた。本当に残念でたまらなかった。事件が起こった11時から逝去の報道を知るまでの間に、私は、見事に回復しカメラの前に出て「みなさま、帰ってきました、安倍晋三でございます。」とユーモアを交えながら挨拶をされるところなどを夢想した。そして第3次安倍政権が誕生するというようなことも考えてみたのであった。
この喪失感はしばらく続いた。正確にいえば、今もその喪失感の中にいると言えるかもしれない。空虚な時間を過ごしたのである。2つ目の私を感情的に振り回す事柄は、この事件であった。
何もすることができないという無力感をどうすることもできずに、私は西大寺駅前の事件現場に献花をしに行った。報道で伝わっている通りに、長い列が静かにできていた。誰に強制されるわけでもなく、これだけ多くの人が炎天下の中、長い列を無言で待っている。まさにサイレントマジョリティーという言葉がぴったりであった。サイレントマジョリティーとは、「静かな大衆」あるいは「物言わぬ多数派」という意味で、積極的な発言行為をしない一般大衆のことである。氏は、声高にアンチを叫ぶマスコミには相当嫌われていた。がしかし、その大声には影響されず、静かに彼の政治信念を支持する人たちが、こんなにたくさんいたのである。
氏といえば、私は2つのことを思い出す。新元号の「令和」と「教育基本法の改正」である。
「令和」という元号は、初めて漢籍からではなく日本の古典の中から生まれた元号である。「万葉集」の巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文である。
書き下し文
時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、
気(き)淑(よ)く風(かぜ)和(やわら)ぎ、
梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、
蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす。
現代語訳
時は初春のよい月であり、
空気は美しく、風は和やかで、
梅は鏡の前の美人がおしろいで装うように花が咲き、
蘭は身を飾る衣にまとう香のように
よい香りを漂わせている。
この元号について、安倍氏は次のような言葉を残している。
この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められています。悠久の歴史の薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、1人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込め、「令和」に決定いたしました。文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和の日々に、心から感謝の念を抱きながら、希望に満ち溢れた新しい時代を、国民の皆様と共に切り拓いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。
国内外のさまざまの問題を解決し、対立をなんとか調和させようと、懸命に努力をする安倍氏の姿が思い浮かぶ言葉である。考案は、万葉集研究の第一人者である中西進氏によると言われている。中西氏は「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、天の声で決まるもの。考案者なんているはずがない」と発言している。安倍氏も中西氏も個人の欲ではなく、過去から未来へと繋がる高い視点から、日本の美しい心に注意を向け、これを守り発展させようとした。それに天が応えたような美しい元号であると思う。
2つ目の「教育基本法の改正」は、平成18年(2006)、第一次安倍政権の初期の頃の仕事である。戦後の自虐史観の原因の一つであると思われる教育基本法の中に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文言を入れ、教育の現場から占領時代の、敢えていうなら「反日教育」を取り除こうとしたものであると解釈している。この改正を契機に、教科書には「君が代」が大きくとりあげられることとなったようだ。詠み人知らず、つまり誰が詠んだのかもわからないくらい親しまれてきた、世界で最古の国歌が、学校で教えられてこなかった状況を打ち破ったことで、本当の戦後が終わったともいえるかもしれない。「反日教育」を受けた団塊の世代に氏のアンチがたくさんいて、若い世代に支持者が多いことは、偶然ではないと思う。教育こそ、国を救う要石ではないだろうか。こちらも日本の伝統、先人たちの功績を大切にし、未来の子供達にそれらを引き継ぐ心が感じられる仕事である。
このような氏の喪失は、私だけでなく国内外の人々の上に悲しみを与えた。大切なものがもう今は「ない」ことに注意が向けられている「悲しみ」の感情だ。しかし、氏が残したものは尊く、献花の長い列のように未来の世代へと脈々と受け継がれていくのではないだろうか。その時私たちは、かけがえのないものを得た「喜び」と、悠久の歴史に優しく包まれて満ち足りた「安らぎ」を感じるだろう。
一方、氏のアンチであるメディアは、怒りや日本に対しての失望感を煽るものを報道している。注意の対象によって感情は変わる。感情は、我々の日常に大きな影響を与える。だから、注意の対象を何に向けるかは、我々が幸せに生きてゆくうえで重要なことである。その注意の対象は、自らが選択したものにするべきである。大きな声に惑わされてはいけない。メディアが人々の注意を引く手法は、心理学の研究などが利用され、抗いきれないものとなっているようだ。私はノートに書き記すことで、注意の対象を外側から引っ張られるような感覚から、内側から伸びてゆくものに変えることができると感じている。注意の対象は、自らが選択できる。私たちの感情は私たちが選択できる。私たちの幸せは、私たちの選択にかかっているのだ。
令和4年7月19日
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