猫背の思い出

 朝起きて一番にベランダに出た。先週よりも寒さが和らいでいたので薄着のまま、所狭しと並んでいる植物たちを一目見た。一目見てから次に遠くに目をやると、南の方には朝日に照らされた街が広がり、西の丘には竹の林が風に吹かれてゆっくりと動いている。そしてまたベランダの植物たちに目を戻す。すると、このあいだ多田山野草園で買ってきた岩千鳥が発芽していた。土の表面を毛足の長い苔で覆われていたが、その間から若い緑の芽が、とがって空を目指していた。隣の二輪草も大きくなっていて、白みがかった緑の葉っぱが鉢からはみ出していた。嬉しくなって他の植物も見回すと、冬の間は赤く紅葉するアロエバンバレニーが、温かさを感じてか緑に変色をしてきていた。休眠期から目覚めようとしている。部屋に戻ってスマホのニュースを見ると、東京の標本木が開花したそうだ。昨年より10日も早い。京都の桜もそろそろ開花するのだろう。春はもうそこまできているのだ。

 節分が終わって桜が咲くまでの間は、少しだけの休みの季節。宮司さまご夫婦がご実家のある福井県に帰省されているので、その間は留守を守るために宿直をする。

 宿直の夜の食事はCoCo壱番屋のカレーと決めている。店内に入り案内されるままにテーブルの席に座った。正面の一つ向こうの席には若い3人の男性が入ってきた。体が大きく、髪の毛はいろんな色をしている。SNSにいたずら動画を投稿しそうに見えたが、店員さんには礼儀正しく話をし言葉遣いも上品であったので、席に置いてあった福神漬に目をやって、疑った自分を少し恥ずかしく思った。左隣の一つ向こうには四十代ぐらいの男女が、親しそうに普段着のままメニューをめくっていた。女性の方がメニューのことは上の空で仕事の愚痴をこぼし続け、男性の方がメニューと女性を交互に見ながら苦笑いをしていたが、よく話は聞いていた。

 しばらくすると、この2組にカレーが運ばれてきた。若者たちは通常300グラムのカレーを400グラムや600グラムにして頼んでいたようで、遠目からもそれとわかる大盛りであった。「やばい、やばい」と笑いながら満足そうに受け取り、店員に軽く会釈をしてからスプーンに手を伸ばしていた。男女の方はといえば、自分の愚痴に興奮していた女性ではあったが、カレーを食べ始めると嘘のように喋らなくなった。男性は少しほっとしたように自らも黙ってカレーに目を落とし、時折天井を見上げてエアコンの吹き出し口を見るともなく見ていた。

 私は若者につられて400グラムのカレーとポテトサラダを注文し、持ってきていた新聞に目を通したが、すぐにやめてスマホを手に取った。インスタとツイッターをとりあえず起動したがすぐに閉じ、指が滑るままに写真アプリをタップした。写真のほとんどは植物だった。最近胴切りした柱サボテンの角度が違う写真が数枚、ピントが少しずれた金木犀の新芽の写真など、せわしなく次から次へと写真を表示させたのだ。そんな落ち着きのない自分にがっかりしながらも、カレーが運ばれてくるまでの時間を持て余していた。

 たくさんの写真の中の一つに自転車が写っていた。自転車は真新しく、夜の国道沿いの駐車場で私の長男がそれにまたがっていた。猫背気味に足元を見ながら不安定な姿勢。この写真が私を10年ほど前の記憶の中に連れて行ったのであった。

 その頃は3階建てのアパートの1階に住んでおり、2DKの狭い部屋で、冬は床が冷たく寒い家だった。乗用車がギリギリ離合できるぐらいのせまい道路から小さい路地を入ったところに家はあり、車が入ってこないその路地は近所の子供達の遊び場であった。縄跳びやボール投げ、バトミントンにサッカー、道路にはケンケンパをするための丸や三角が書かれていた。長男もここでよく遊んでいたが、その日は自転車の練習をしていた。コマ付きの赤い自転車で実家の両親に買ってもらったものだ。

 近所には長男よりも5つか6つ年上のひなちゃんという女の子が住んでいて、その頃は小学校の高学年であったと思う。ひなちゃんは長男をよく可愛がってくれて、長男はひなちゃんが大好きであった。その日の自転車の練習は、このひなちゃんが一緒に手伝ってくれていた。

 長男は勢いに任せて自転車をこいで派手に転けるなんてことはなく、慎重にゆっくりと走って、転けそうになるとしっかりと足をつけてゆっくりと自転車だけを倒し、自分は手すら地面につけないようにするそんな子供だった。手が汚れるのがとても嫌いで、よっぽど気が乗らないと砂場で遊ぶなんてこともなかった。怖がりで、潔癖症気味なところがあったのだ。だからこの日の練習も家の前の小さな路地をゆっくりと何度も往復するだけで、遠くに行きたがったり、転けたりすることもなかった。ひなちゃんはそんな長男のペースに合わせてくれて、狭い路地をうまく使って練習をさせてくれていた。家の前には道路から見て下りの階段があった。ひなちゃんはその階段の手前まで行って、反対側にいる長男を大きな声で呼んだ。「文ちゃーん、ここまでおーいでー。」

 長男は足元を見てうつむきかげんの姿勢から、ひなちゃんの方を上目遣いで少し見あげた。そしてゆっくりと自転車を漕ぎ始めた。コマ付きの自転車だからよっぽどバランスを崩さないと転けることはないが、用心しながら一漕ぎずつひなちゃんの方へ進んでいった。路地は20メートルくらいあったと思う。半分を過ぎてもうすぐでひなちゃんのところまでというあたりで、長男はブレーキを力一杯握った。自転車は急に止まって、そして少し右に傾いたまま動かなくなった。私もひなちゃんも「あと少し、頑張ってー!」と声をかけたが、長男は自転車を漕ごうとはしなかった。「どうしたん?」と聞くと、「もう進めない。」といった。「何で?」ひなちゃんは、不思議そうに聞き返した。「階段があるから。」私とひなちゃんは顔を見合わせた。家の前にあった下りの階段まではあと3メートルぐらいあり、その階段の前にはひなちゃんが立ってくれているのに、長男は階段があるから怖くてこれ以上進めないというのだ。私から見ればまだまだ距離はあった。子供というのはそんなものなのだろうか、大変驚いたのだ。そしてその時の長男が、先ほどの写真の猫背気味に足元を見ながら不安定な姿勢であったのだ。

 あれから10年と少し経って、長男も高校生になる。声変わりもして身長もそろそろ抜かれそうだ。さっきの写真は、その通学に乗っていく電動自転車を買った時の写真だ。電動自転車は慣れていないと漕ぎ出しの勢いを調整するのが難しく、初めに様子を見ていた。少し怖そうに自転車に乗る姿が、小さい頃と変わっていない。それでそんな昔のことを思い出したのだ。

 自転車を買った後は、近くのショッピングモールに行って夕食を食べた。長男は受験や彼女にフラれた苦労話をしていた。目の前には15歳になった長男が、美味しそうに夕食を食べながら、中学生らしいはにかみと大胆さを持って日々の愚痴をこぼしていた。しかし時折見せる表情やその仕草に小さい頃と変わらないものが見えてきた。言葉にし難い感覚であった。懐かしく、また美しく、甘い、そんな記憶が蘇る。もう一度長男が小さかった頃に戻りたいと思った。今に不満があるとかやり直したいとかという感情ではなく、あの言葉にできない若葉のような初々しさにもう一度会いたくなったのだ。

 400グラムのカレーが運ばれてきた。辛いものが苦手なので、いつも甘口か普通の辛さにする。今日は普通の辛さにした。長男の幼い頃の甘い思い出とカレーのスパイスのコントラストを笑いながら、満腹になりまた店内を見渡した。3人の若者は食べ終わり、その風貌に似合わず品よく談笑をしている。男女はまた女性が話し始めているが、今度は楽しい話のようだ。二人は笑い合っていた。

 宿直するために神社に戻り境内を歩く。桜の木に目をやると朝は硬く縮こまっていた蕾が少し膨らんでいた。また春がやってきた。毎年必ずやってくる季節の中で私は歳を重ねる。子供たちや植物たちの成長に心を動かされながら、巡る季節の中で筆のまにまに生きている。

令和5年3月22日

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