みかきもり衛士のたく火の夜はもえ昼は消えつつ物をこそ思へ

百人一首

みかきもり 衛士(えじ)のたく火の 夜はもえ 昼は消えつつ 物をこそ思へ
大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)

百人一首の49番目の歌です。

語句

*御垣守(みかきもり)・・・宮中の諸門を警護する人。
*衛士(えじ)の焚く火の・・・「衛士(えじ)」は諸国の軍団から選抜し、衛士府(のちに衛門府)に配当された兵士。ここでは「みかきもり」を指している。衛門府に属して、公事(くじ)の雑役や御殿の清掃に従事し、夜は庭火を焚いて門を守った。
「焚く火」とは、その篝火(かがりび)のこと。
「みかきもり衛士のたく火の」までが序詞。
*夜は燃え昼は消えつつ・・・「は」は、区別を表す係助詞。
「つつ」は反復・継続を表す接続助詞。
衛士の焚く篝火が、夜は燃えて昼は消える、ということを対句として表現している。また「夜は恋心に身を焦がし、昼は意気消沈して物思いにふける」という自分の心を重ねて表現している。
*ものをこそ思へ・・・「ものを思ふ」は、「恋をしてもの思いにふける」という意。
「思へ」は「思ふ」の已然形。
「こそ」は係助詞。
「こそ…思へ」は強調の係り結び。

歌意

宮中の御門を守る御垣守(みかきもり)である衛士(えじ)の燃やす篝火が、夜は燃えて昼は消えているように、私の心も夜は恋の炎に身を焦がし、昼は消えいるように物思いにふけり、毎日のように思いわずらっていることだ。

作者

大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)
921~991
平安時代中期の貴族で歌人。神祇大副頼基(じんぎのたいふよりもと)の息子、百人一首にも歌がある伊勢大輔(いせのたいふ)の祖父でもある。
950年代に清原元輔、源順、紀時文(ときぶみ)、坂上望城(もちき)とともに「梨壺の五人」として活躍した。
「梨壺の五人」とは、宮中の撰和歌所で万葉集の訓読や後撰集の撰定に当たった和歌の学者たち5人を指す言葉である。内裏後宮五舎のひとつで庭に梨の木のある「梨壺(昭陽舎)」に和歌所があったのでこう呼ばれた。
「後撰集」の編纂に携わり、三十六歌仙の一人。

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