存在の全体像

 私は、互いに関係しあっているから全てのものは存在することができるという「関係性の存在論」を語ってきました。これは私がつけた呼び名であるので、一般にはどのようにあつかわれているのだろうと疑問に思い、倉田剛氏の「現代存在論講義」を手に取りました。この本は、現代存在論の入門書、あるいは専門の研究者が持ち合わせている知識を整理することができるようにという趣旨で書かれているそうです。しかし正直にいうと、私には難しくて、今でも全部読むことはできていません。この本のなかに、私のいう「関係性の存在論」を見つけることはできませんでした。

 本の中では、「『世界にはいったい何が存在するのか?』これが存在論の最初の問いであり、究極の問いである」と述べられていましたが、ここからして私が思う「存在論」ではありませんでした。私が思うものは、「存在」とは、存在者(物)ではなく、その存在者(物)の「存在」のことです。つまり、「何が」存在するか、ではなく、存在するということはどういうことか、その根拠や理由のことです。

 存在論は、古代ギリシャにまで遡るそうです。おおむね古代ギリシア哲学者のアリストテレスをその出発点と考えるのが一般的で、彼の定義によれば、存在論とは「存在者(物)を存在者(物)である限りで、その全体を論じるもの」であります。つまり「何が」存在しているか、ではなく、「存在者(物)を中心として、その存在者(物)が存在することの全体を語るもの」であります。だから、「何が」存在するかはもちろん大切なことですが、その前提や全体像を語ることが主たるものと思っています。

 存在はギリシャ語で、「ト・オン」とか「ウーシア」と言われ、「財産、自然、本質、主語、基体」など、多様な意味があったそうです。19世紀ドイツの哲学者ハイデガーによれば、古代ギリシャの「ウーシア」には、それら以外に「作られて目の前にあるもの」や「制作されたもの」、「家、建物」などの意味もあったそうです。そのようにたくさんの意味があったので、アリストテレスは自ら「存在論」を唱えながらも、その「存在」を「実体」の意味にすり替えてしまいました。「実体」とは、「存在するもの」のことです。以後、存在論といえば実体論を意味し、「この世界に何か実体的なものがあれば、それは何か」という問いに変わってしまいました。ハイデガーは、その著書「存在と時間」の中で、「存在問題は今日では忘却されてしまっている」と言っています。つまり、存在することの全体を語るものであった存在論が、「何が」存在するのかという実体論に変わってしまい、本来の問いが忘れられてしまったと言っているのです。

 中世になると、その実体は神と考えられるようになり、神こそが唯一実体と言われるようになりました。よって中世において存在論とは、神の存在論的証明に取って代わりました。このように古代ギリシャに始まった存在論は、中世には神の存在論的証明に取って代わりましたが、近代になって古代ギリシャから失われていた本来の意味の存在論を復興させたのが、ハイデガーだったそうです。

 これらのことを踏まえると、私の「関係性の存在論」は、「何が」存在するのかという実体論ではなく、存在者がどのように存在し、その根拠を問うものであるので、ハイデガーの復興させたものに近いことがわかりました。存在の根拠としてはライプニッツの「共可能性」、存在の仕方についてはホワイトヘッドの「抱握」などの概念の影響があります。今回参考にした「現代存在論講義」には、もしかするとアリストテレス以降に展開された「何が」存在するのか、という実体論が紹介されているのかもしれません。今後もっと勉強していきたいと思っています。

 以上は西洋のものでしたが、日本を含め東洋にも存在論はないのかと探しておりました。存在の仕方としては、2世紀インド仏教の僧であるナーガールジュナの「縁起」も同じ系統にあてはまり、全ては関係しているから存在し、それぞれでは「空」である、つまり何もない、存在しえない、というものがありました。そんな中で出会ったのが、宮﨑貞行氏の「天皇の国師」という本でした。私がこの本の中に読み取ったものは、関係性の存在論でありながら、その構造が精神世界的なものでありました。精神世界のことを語るのは得意ではありませんが、その内容が、本のタイトルからも分かるように、天皇に関するものであり、祭祀についてのものであったため興味を惹かれました。

 この本は小説の形態をとっており、時は昭和51〜2年頃、主な登場人物は昭和天皇、侍従長の入江相政(すけまさ)、皇宮警察の仲山順一、そして「天皇の国師」である三上照夫です。国師とは、朝廷から仏教の高僧に対して贈られる尊称であり、代表的な方は、後醍醐天皇から授けられた「夢想国師」です。明治以降は、朝廷が神道に純化したため、高僧に国師などの尊称が贈られることはなくなりました。したがって、三上照夫も国師号を授与されたわけではありませんが、ひそかに「天皇の国師」と呼ばれていたそうです。天皇の相談役といった意味で、三上氏をよく知る一部の人たちによってそのように呼ばれていたそうです。

 この本で述べられている存在論は、人間が霊界や神界と交流しているというものでした。西洋の文化では、理性的思考が重んじられ、科学的であることが真実の証明となります。一方東洋では、直感による認知を重んじる傾向がありました。よってそれは見えない世界の存在を肯定する文化でありましたが、近代化が進み、東洋でも科学的理性的思考が重んじられるようになりました。というのも近代化とは、具体的には科学と民主主義を受け入れることであったためです。日本は戦後、近代化が他のどの東洋諸国よりも急速に進んだため、現在において科学と民主主義はすっかり根をおろしてしまっています。

 その現代において、人間が霊界や神界と交流しているという存在論は、時代錯誤であり、またオカルト趣味と言えるかもしれません。

 ところで私は神主をしていますが、神様はどんな存在ですかと尋ねられた場合、次のように答えています。自然、先祖、文化を総称した存在ですと。私たちは自然の中に生き、そこからたくさんの恵みを得ています。また、父母、祖父母、たくさんの方々の命をいただいて、生まれてきました。そして、ここに書き記している言葉、書くためのパソコン、暖かいストーブなど、これらは先人たちの努力の結果、便利な文明として私たちの元に届いています。このように、はっきりとした形はありませんが、必ず存在し、私たちを足元から支えている存在、それが神様です。

 このように考えた場合、神様のような霊的な存在との交流というのは、時代遅れというほど廃れたものではなく、またオカルト趣味というほど特殊なものではないと思います。天候に左右されたり、年齢を重ねるごとに両親に似てきたり、医療のような高度な文明が命を救う。我々は、現代の人間だけでなく他の世界からの影響を受けて生きています。

 ですが、この本の中では一般には馴染みのないような霊界との交流も紹介されていました。降神術(こうしんじゅつ)といって、神を招き、対話をするというものです。「参加者全員でまずヒフミ歌などを歌い統一、黒布をかけて暗闇にした部屋で越殿楽のレコードをかけているうちに、霊媒体質の萩原真が精神集中し、深いトランス状態に入る。すると燐光を塗っておいたメガホンや人形あるいはテーブルまでが飛んだり跳ねたりする現象が起こる。やがて、メガホンから、ある心霊が、古代調の言葉で話し始める。審神(さにわ)役の塩谷信男が質問すると、それに答えて即答するのである。」これは昭和23年のことで、当時でも普通のことではなかったと思います。あまりにも現実離れしているので、信じられないという気持ちになりましたが、このような体験をした方が、昭和天皇の相談役であったそうです。一体どのような相談をされていたのでしょうか。たいへん興味深く感じています。

 馴染みのない霊界との交流といえば、古い記録を見れば思いの外たくさんあるようです。たとえば古事記まで遡ると、オオヤマトクニアレヒメノミコト、ヤマトトモモソヒメノミコトなどの巫女たちが神霊からの託宣を受けて、天皇の治世を助けたという記録や、和気清麻呂の宇佐八幡宮での託宣など、神霊との交流が現実を動かした記録がたくさんあります。また蒙古襲来の際のいわゆる神風などの自然現象も記されています。このような記録は、昔の人が書いたことであり、信用することはできないというのが一般的であると思います。

 がしかし、最近の例をあげると、平成25年の伊勢神宮の式年遷宮、神様が新しい正殿に移られるちょうどその時、風日祈宮(かざひのみや)から風が吹き、参列していた人々を驚かせたという出来事や、令和元年10月22日の即位礼正殿の儀の日、それまで土砂降りの大雨が降っていたにもかかわらず、儀式が始まると雨が止み晴れ間が見え、皇居の上に虹がかかり、富士山には初雪が降り、静岡浅間神社では季節外れの桜が咲いたといいます。また、令和4年10月28日、春日大社の摂社である若宮社の正遷宮、神様が新しい御殿にお移りになる時の、神職による「おー」という声を上げる警蹕(けいひつ)とともに、あちこちで鹿が鳴いたという出来事がたくさんの人によって確認されています。

 これらをどう解釈するかは、人それぞれであるかもしれません。がしかし、現代にも不思議で、できすぎたような出来事が起こっているということは、古い歴史に残されている不思議な記録は、あながち全くの嘘ではないのかもしれません。

 祭祀、つまり神様をお祭りするという行為には、このような霊界や神界との交流があるのでしょうか。私は経験上、あるともないとも言うことができません。私が感じているのは、とどこおりなく神事を執り行うという責任と、時間の流れが止まったような意識の集中です。神事はそこに集まった参列者が神様を参り、神様に喜んでいただくことが目的であります。我々神主は、神様と参列者の間に立つものとして、どちらにも失礼のないように身を引き締めて奉仕しています。その意味での責任を感じています。また神事には複雑なことはあまりなく、単純なことの積み重ねですが、単純ゆえに間違いが起きやすいので、間違えないように集中をしています。交流があるのかどうかを確かめる程の余裕は、私にはないのです。幕末の孝明天皇は、非常に熱心な敬神家であり、巫女の神おろしによる斎場をたびたび行っていたそうです。やはり天皇の祭祀には、神霊との交流があるのでしょう。これからもっと勉強をしていきたいです。

 私が、何か私を超えたものとの交流をしているとすれば、書くという行為です。書くことによって、曖昧な思考は明確になり、明確になった考えが行動となり、行動が現実を変えます。書くことなしでは実現できなかったようなことが、現実となります。それは書くことで、自分でも気づかなかったことや、現実に行うために必要なことが明るみになるのです。これはまさに、私を超えたものとの交流だと感じています。

 人間が存在していることの全体を語る、存在論に興味を持っています。私が存在することの全体像とは、一体どのようになっているのでしょうか。大きく私を包む自然、そして命を繋げてくださったご先祖さま、思考することや行動することを可能にしている文化、現在の社会のさまざまな人々、さらには私がいまだ感じることができていない、神霊の世界が私の存在を可能にしているのかもしれません。

令和4年12月31日

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