具体的に生きること

 去年も今頃であったと思う。地元の高校生に対して神社の由緒や地域との関係を話す機会がある。今月の末の予定だ。去年は私が考えた「ご先祖さまゲーム」という自分の命がどれだけのご先祖さまと繋がっているかを体験してもらうゲームと、神道が具体的な信仰であることから、ロシアのウクライナへの侵攻を踏まえて、「自分たちの身の回りを戦場にしないことが私たちにできる具体的な平和的行動だ」という話を、するかしないか迷った挙句にしなかったという随筆を書いた。今回は大原野神社について、地域と神社の関係について、高校生に伝えたいこと、という3つの内容で話すこととなった。年月が過ぎて私の考えも変化があったろうから、今一度高校生に話すべきことを整理してみたい。

 まず大原野神社の歴史。創建は延暦3年、西暦で言うと784年。来年で1240年の歴史がある神社である。当時奈良にあった平城京という都から長岡京という新しい都に移ってくる際に、国を守る、都を守る神として春日の神がお祀りされたのがその始まりである。奈良には春日大社という立派なお社があり、平城京は春日の神様がお守りしてくださっていた。だから次の新しい都の長岡京も、春日の神にお守りいただこうということで創建されたのが大原野神社。だから大原野神社には春日の神がお祀りされている。

 春日の神と言っても一般にはどんな神様か知られていないだろうから、3つの特徴をあげてみる。

 まず一つ目は、神様が4人いらっしゃること。普通の神社では大きな建物が一つあって、そこに1人の神様がお祀りされている。だが大原野神社では、お社が4つあってその一つずつに1人の神様、合計4人の神様がお祀りされている。武御賀豆智命(タケミカヅチノミコト)、伊波比主命(イワイヌシノミコト)、天之子八根命(アメノコヤネノミコト)、比咩大神(ヒメオオカミ)。この4人の神様を総称して春日の神と言う。そしてこの4人の神様はそれぞれ違う神社の神様だ。

 タケミカヅチノミコトは、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮にお祀りをされている神様で、建御名方神(タケミナカタノカミ)との戦いが相撲の起源とされている武神である。

 イワイヌシノミコトは、千葉県香取市にある香取神宮にお祀りされていて、日本を今のような形に平定するときに活躍した、こちらも武神と言われている。

 アメノコヤネノミコトは、東大阪市にある枚岡神社にお祀りされていて、祝詞という神様に申し上げる言葉を天の岩戸神話の中で読んだ神様である。

 ヒメオオカミは、同じく東大阪市にある枚岡神社にお祀りされていて、アメノコヤネノミコトの妻であり、天美津玉照比売命(アメノミツタマテルヒメノミコト)というお名前がつけられている。

 このように違う神社にお祀りされている4人の神様を奈良の地にお招きし、春日の神としてお祀りをしたのが春日大社であり、大原野神社はその春日大社の第一番目のご分社である。

 次の特徴は神様のお使いの動物が鹿であるということ。大原野神社の神前には、一般的には狛犬がいる場所に、狛鹿(こまじか)ならぬ神鹿(しんろく)がいらっしゃる。奈良にはたくさんの鹿がいるが、あれは春日の神様のお使いの動物が鹿であるため、歴史を通じて大切にされているからである。これは、第一殿にお祀りされているタケミカヅチノミコトが、その御本社である鹿島神宮から白い鹿にのって奈良までやってこられたことに由来している。

 次に藤原氏の氏神であるということ。藤原氏というと平安時代に日本の中心的な氏族であった。氏神というと現在では近所にある神社のことを指すが、古くはある氏族が大切にしている神様のことを氏神と言った。よって春日の神様は、藤原氏によって大切にされていた神様ということである。タケミカヅチノミコトとイワイヌシノミコト(フツヌシノミコト)は藤原氏の本拠地が近かったため、アメノコヤネノミコトとヒメオオカミはその直接の先祖であるため、大切にされてきた。藤原道長をはじめ、大原野神社にはたくさんの藤原氏の方が参拝している。その中でも有名なのが、源氏物語の作者である紫式部だ。紫式部という名前はいわゆるペンネームで本名はわからないが、父の名前が記録に残っており、それが藤原為時(ためとき)と言う。よって紫式部は藤原家の出身であり、氏神である春日の神を崇敬していた。「紫式部集」には、次の歌が記されている。

暦に、初雪降ると書きつけたる日、目に近き日野岳という山の雪、いと深く身やらるれば

ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる

現代語訳

「詞書」 暦に 初雪が降ったとしるされる今日
近くに見える日の岳という山に、雪が深く積もっている

日野岳の杉林は、雪に深く埋れんばかりだ。今日は、都でも小塩山の松に、雪がちらちらと散り乱れて降っていることであろうか。

 この歌は一条天皇の長徳2(996)年、越前国の国司に任じられた父藤原為時に伴われて越前国の国府(現在の越前市。平成17年10月、市町村合併により武生市から名称変更)にやってきた紫式部が詠んだ歌として有名なものである。歌の前にある詞書(ことばがき)に出てくる日野岳は地元で越前富士と称される標高795メートルの日野山(ひのさん)のことで、生まれてこの方ずっと都に住んでいた紫式部にとって、初めて見る雪国の山の姿であったであろう。その日野岳の杉群を埋む雪を見てふるさと(都)を懐かしみ、真っ先に思い出したのが小塩山であった。三方を山に囲まれた都にあって数ある山の中から小塩山を思い出したのは、やはり麓に鎮座する氏神大原野神社の存在を大切に思っていたからと言われている。

 以上が春日の神様、大原野神社の神様の特徴である。神様が4人いらっしゃって、お使いの動物が鹿であり、紫式部をはじめとする藤原家の人々が大切にしていた神様なのだ。

 次に神社と地域の関係について。神社で行われる神事は主に稲作との関わりがある。2月の祈年祭、11月の新嘗祭は、米の収穫を祈り感謝するお祭りである。米作りは個人だけではなく村全体で行う必要がある。害虫の対策や水源の確保、稲刈りやもみすりなど、村全体で作業をした方が効率がよい。よっておのずと皆で集まり豊作を願ったり、稔りに対しての感謝を行うようになった。まさに神社は地域とともにあり、その中心地だと言える。現代は人々の暮らしが変わり、皆で協力をして米作りをしているところは少なくなった。近隣との関係も薄くなったと言える。サラリーマンの家庭が増えて、近所の人と協力をして何かを行うことは無くなってしまい、協力するどころか、むしろ関わりを持たないようにする人が増えているように思う。こういった現状を鑑みると、地域と神社のつながりというものは弱くなってきているのが現状であると思う。

 では、そもそも日本の神様とは一体どのようなご存在なのであろうか。それは次の3つの要素に分けることができる。

1、自然

2、文化

3、先祖

この3つの要素、よく考えてみると、私たちの生活にはなくてはならない存在、否、なければ我々は存在しないのである。

1、自然

 私たちはまさに「自然」の中で生活をし、「自然」から多くの恵みをいただいている。そのことに着目をして、我々の先人は「自然」という存在を神としてあがめたと思われる。「山の神様」とか「川の神様」というのはよく言われることである。これを歴史的に見ると、縄文時代、人々の暮らしが狩猟中心であった頃の自然崇拝ということが言える。

 今からおよそ1万年前、地球の気候は穏やかになり、日本列島も現在に近い自然環境になっていく。日本は、アジア大陸の東に位置し、狭い国土ながらも海・川・山・谷・平野があり地形の変化に富み、総面積の約70%が森林に覆われている。気候も1年を通じて比較的温暖で、およそ3ヶ月ごとに春・夏・秋・冬と季節が循環する。このような環境の中、狩猟を中心とした縄文文化が形成される。人々は水辺に近い台地に集落を営み、竪穴住居に住んだ。狩猟という自然との深い関わりを持った生活の中で、具体的に接した自然物や自然現象のうちに、人の力を超えた威力、神聖性を感じさせた対象を畏怖し崇拝した。これを自然崇拝と言う。そして、呪術などの祭祀を行い災いから逃れ、より多い採取がもたらされるよう祈ったのである。

2、文化

 例えば、服や建物、インターネットにしてみても、先人たちが工夫や努力を重ねて作り上げた技術を今に伝えたものである。これらの技術が複雑に絡み合って現在の豊かな生活が可能となっている。先人たちはこういった技術、文化に感謝をし、神様の名前をつけて崇敬してきた。木工の神様や機織りの神様などが存在する。こちらは弥生時代、稲作が中心となってきた頃の精霊崇拝と言える。

 中国大陸ではじまった稲作は、今からおよそ3000年から2700年前、縄文時代の終わりころに日本に伝わった。紀元前4世紀初めには、西日本に水耕農作を基礎とする弥生文化が成立し、やがて東日本にも広がる。収穫物は掘立柱の高床倉庫に納められ、日本列島の大部分が狩猟から稲作、食料貯蔵の時代に入った。また、機織り技術も大陸から伝わり、勾玉作りなど様々な技術の発展が見られる。人々はそういった高い技術で作られた物に対しても崇拝するようになった。その中でも鏡、剣、勾玉はとくに神聖視をされ、それらの中に宿る魂、古い書物の中では、「霊」の文字で表されるタマ、モノ、ヒ、チと呼ぶ精霊に対して崇拝した。これを精霊崇拝と言う。

3、先祖

 身近なところでは、お父さん、お母さん、そして、おじいちゃん、おばあちゃん。そして、またその、お父さん、お母さん、、、誰にでも必ずお父さんとお母さんがいる。3代前(曾おじいちゃん、曾おばあちゃん)まで数えただけでも、最低で14人のご先祖様がいらっしゃる。このうち、どなたお一人でもかけると、自分のところまで命はとどかなかった。5代前だと62人、150年ほど前、江戸時代の後期頃。自分の命は、このように奇跡のような命の連鎖によって支えられている。先人は、このことに大変敬意を払ってきた。こちらは共同体が形成されてきた頃の祖先崇拝と言える。

 稲作では、開墾や水路の確保など、狩猟生活よりも一層の共同作業が必要だ。共同作業の中にはリーダーが生まれ、そのリーダーに対する尊敬の念が存命中からあり、そしてその死後に浄化され、崇拝されるようになった。また、社会の分業化が進み、同一職業集団の祖、または地域開拓の中心人物も、その死後に崇拝の対象となっていった。まずは、こういった功績のあった先祖に対する崇拝から始まり、のちにすべての祖先に対する崇拝へと変わっていく。これを祖先崇拝と言う。

 このように人々の生活が、狩猟から稲作、共同体へと変化していく中で、その崇敬の対象も、自然崇拝から精霊崇拝、祖先崇拝へと変化し、広がっていったのであった。よって日本の神様は、1自然、2文化、3先祖を総称した存在ということができる。例えば大原野神社の第一殿にお祀りされているタケミカヅチノミコトは、雷神や剣の神と言われており、まさに自然や文化の神と言える。

 次に私が高校生の皆さんに伝えたいことは、具体的に生きるべきだということだ。以下に具体的なものと抽象的なものとの違いを説明しながら、なぜ具体的に生きるべきと考えるかを説明したいと思う。

 日本語の「神」を「God」と訳すことは、誤解が生じるとよく言われる。それは「神」と「God」では性質が違うからである。違うものであるのに同じ言葉に翻訳をしたので食い違いが生じたのである。誤解を恐れず簡単にその違いを表すと、「神」はものや現象、人物など具体的なものから派生し、「God」は物事の根本というような、抽象的なものから派生した。前述したように日本の「神」は、自然や文化、祖先といった具体的のものであるが、「God」は、創造主や愛であるというように、根本的で抽象的である。

 この具体的なものと抽象的なものはどちらも大切なものである。具体的なものを離れてしまっては全ては空理空論になり、抽象的なものを離れては全ての物事が煩雑に秩序なく取り扱われてしまう。具体的なものはどんどんと数が増え、抽象的なものはどんどんと一つにまとめられていく。例えば、A君はシュークリームと饅頭は好きだがショートケーキは嫌いであり、B君はシュークリームは嫌いだがショートケーキと饅頭は好きである場合、これをいちいち具体的に述べるのは煩雑であり秩序がないが、子供は甘いものが好きである、と言ってしまったとき、事実とは食い違いがないし、とても簡潔でわかりやすい。しかし、本当にA君とB君を喜ばせようとすると具体的な好みが重要になってくる。甘いものが好きだからといってシュークリームを買ってきたのでは、A君は喜ばせることはできても、B君には嫌がらせになってしまう。饅頭を買ってこなければいけないのだ。このように、具体的なものと抽象的なものはともに大切なものである。

 キリスト教には、愛という概念がある。全てのものに愛を与えなさい。大変素晴らしい考えだが、この言葉だけでは具体性がない。愛するとはどういう行動なのか、ただ思うだけではないはずだ。具体的な愛する行動を考える必要がある。またSDGsという、持続可能な社会を目指す国際的な目標がある。これも大変重要で実現しなければならない目標であるが、もっと個人的に取ることができる行動を考えなければ、状況は変わらない。

 地域を知るというのは、具体的な行為である。世界の戦争や環境問題がニュースで取り上げられ、私たちはそれらについて考える。しかし我々が最も影響を受け、影響を与えることができるのは地域、私たちの身の回りである。私は身の回りのことに注力することが、最も大切なことと考える。例えば、環境破壊の問題を考えるなら、まずは家の周りを綺麗に掃除する。プラスティック製品が環境に与える害について注目されているが、その原因は適切に処理されずに投棄されていることが主な原因である。清掃をすることによって環境への害は抑えることができる。また多様性を認めることの大切さを訴えられているが、「多様性」という言葉に注目をして問題を考えるよりは、まずは友達を大切にする、認め合うことに注力するべきであると思う。多様性や持続性という抽象的な言葉も大切であるが、具体的には地域を知る、家族、友達を大切にする、もっと具体的に言えば、地域を綺麗にし、家族や友達の話を聞き、励ましたり、約束を守ったり、優しく接すること、一緒に楽しく話をしながら登下校すること、これが多様性を認めることであり、持続的な社会を作ることであると考える。

 ここで私の身の回りのものを大切にする具体的な行動の一つを紹介すると、ノート作りである。友達のことを書き記したり、自分の思ったことを書き記す。そうすることによって、次に友達にかけてあげたい具体的な言葉や行動を思いつくことができるのだ。それが友達、家族、自分を大切にする具体的な行為である。

 このように抽象的な言葉だけでなく、具体的な行動、つまり「友達を大切にする」という言葉にとどまらず、友達の名前、誕生日、好きなもの、家、話を聞く、笑わす、そんなことに注目してほしいと思う。それが本当の愛であり、持続可能な生活であると私は考える。

 地域や家族、友人を知ることは幸せになるための行動だと思う。それは将来皆さんがどこに誰と暮らそうとも、自分の身の回りの人、そしてその土地をしり、大切にすることが幸せへと導いてくれる。今ここに生きることこそ、幸せなのだ。その意味で、具体的な神様、つまり自然や文化、先祖を祀る神社を見つめ直して、ぜひ訪れてほしいと思う。

 以上のようなことを考えた。煩雑な文章ではあるが、言いたいことの骨子はできていると思う。去年と変わることはないが、文字通り具体的になっている気がする。月末まで、もう少し筆のまにまに考えをまとめ深めていこう。

令和5年6月10日

コメント

タイトルとURLをコピーしました